Story
畳職人になろうと決めた時期と、 そのきっかけを教えてください。
オーストラリアに住んでいたころ、私の故郷の文化を何らかの形で伝えなければという必要性を感じました。外の世界で、日本の何かを伝えたい、ある種の欲求と言えるような感情を抱きました。何か私に深く根ざしたものを理解してもらうことで、彼らと私がより深く繋がれるように思ったのです。たまに日本に帰国することもありましたが、故郷を離れて欧米で暮らす期間がどんどんと長くなり、振り返ってみれば故郷となんらかの繋がりを取り戻したかったのかもしれません。誰にも奪われることのない、自分に身についた何かが欲しかったのです。それが畳という伝統ある技術を学ぶきっかけでした。 かつて、畳業は世襲制で、技術と商いは親から子へと引き継がれるものでした。しかし今の世代で、畳作りの伝統を学びたいという人はかつてほど多くありません。私は京都に帰り、職人への弟子入りと学校とできっちりと畳づくりを学ぼうと決めました。そうすると幸運なことに、畳組合の理事の方と畳についてお話しする機会があり、そこで意気投合、百年を超える歴史を持つ畳店の四代目に縁あって弟子入りさせていただけることとなりました。これが私が畳の世界に足を踏み入れる糸口となりました。畳職人になり六年、現在では自ら工房を構えています。私が初代と将来呼ばれるように、子孫代々伝統が続いていってくれるとよいですね。
畳は数百年にわたってその形が変わっていません。 それを変えようと思ったきっかけはなんですか?
私は、変化というよりも、これは時代の変化にあわせた「適応」だと考えています。現在世界中で起きていることですが、安価な模造品や、品質の違いがわからない消費者の存在などによって、多くの職人たちが姿を消しつつあります。安価なものが選ばれる理由には、昔ほどこういったものにお金をかける余裕が人々からなくなっているという止むを得ない理由もあると思います。しかし質と耐用年数を考えると、長い伝統を引き継ぎ作られたものには非常に優れたものがあるのも事実です。私や、他の日本の職人が作るものは長い年月を使う人と共にするものです。私は、これは「消費」というよりも「投資」に近いのではと思っています。自分自身と、自分の生活に対する投資です。長い年月を共に過ごした物には、思い出が染み付き、自分に馴染んでいく感覚があります。これは、日本の良い文化のひとつだと思います。私が個人的にこのことに強い思いを抱くのには、長い間旅を続けてきたというのがあるかもしれません。貧乏旅だったというのもありますが、持ち物は本当に大切なものへと削ぎ落とされ、それらはポケットに収まってしまうような量でした。意図的ではなく、結果的にそうなったのです。今では家族を持ち、物も増えてしまいました。しかし、その頃の大切なものに対する気持ちはずっと、持ち続けていたいと考えています。